【寄稿】関係を遮断する連続と断面と平面性/文:中脇健児さん

中脇健児さん(大阪芸術大学芸術計画学科 准教授 。堺アーツカウンシルプログラムオフィサー。場とコトLAB 代表)に、『風景によせて2024 -かざまち-』の作品評を寄稿いただきました。

下記、寄稿文です。

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関係を遮断する連続と断面と平面性

(写真:脇田友)

田園が広がる里山が一望できるカフェのテラスに座席が並ぶ。
ソノノチから簡単な挨拶が終わった後、スピーカーから自然音か定かではない音がSEとして流れる。
「今から始まるんだな」と思い、目の前に広がる風景に目をやるが、何も変わらない。しかし、見渡していると、里山には珍しい差し色の点があることに気づく。すると遠景の中にいくつか同じような点があることがわかってくる。壮大なパノラマを存分に活かすかのように、赤い衣装を着た演者だ。
SEが断続的に流れる中、観客は風で揺れる葉の擦れる音や、時折聞こえてくる犬の吠える声や、車の走る音など日常のランド&サウンドスケープが混ざる空間に身を委ねながら、鑑賞する。演者は止まっているようだが、かなりゆっくり動いている。時折、風にたなびく白い布を掲げたり、手を上げるといった動作も伴うが、ほぼ何もない。そんな流れの中で、時間が過ぎ、気づけば演者は消えており、公演は終わる。

簡単に言えば、ソノノチのパフォーマンスはこのように描写できる。
1時間にも満たないが、体感としてはそれ以上にも感じる。しかし、ここに至るまでの道中の時間や風景の変化に比例して、自然の中にチューニングされていったことを踏まえると、このパフォーマンスは、ふと現れ儚く消える刹那的な時間であり、内容も非常に幻想的で抒情的でもある。

インタラクティヴな体験型のアートと言えるし、サイトスペシフィックな地域アートとも言えるし、レジデンス型のプロジェクトアートとも言える。
ソノノチのランドスケープシアターも、この3つのキーワードで多くを語ることができるはずである。

しかし、今回は、ランドスケープシアターを観てどこか感じる”遮断感”に着目してみたい。
それを「平面性」と「連続と断面」と言う視点から語っていきたい。

ランドスケープシアターはまず、観覧ゾーンは固定されており、好きなところから観ることはできない。
そして観るべき対象は果てしなく広く(さらに演者と演者の距離感はかなり離れているため)、演者一人一人の動きは視野に全て収まらない。その上、何をみたら良いかという視点誘導や、どこからどこを観るべきか、と言った視野の枠組みがないため、景色全てを見ることになる。そのため、観客は自らの視界がフレームとなり、都度、自分なりに切り取ってみることが求められる。そして何を観るのかも、委ねられている。視覚は「観る」と「眺める」を行き来し、遠近が曖昧になり、現実の世界にも関わらず、見えるもの全てが抽象絵画のように平面的になる。その時間を過ごしていると、景色に自身がとろけていくような感覚に陥る。

ただ、そんな一体感から意識を突き放すものがある。それが演者が”とまっているようで、ゆっくりと動いている”という部分だ。なるべく全体を観ようと視野を広げる一方で、遠くにいる演者のゆっくりとした動きを凝視する。もしくはそのうつろいをぼんやり眺めている。しかし、視界を変えると、他の演者が意外に動いていることがわかる。「いつのまに」と思ってしまう。時間軸の中で演者同士が関連性を持って動いていることを確かめるように目線をあちらこちらに動かすと、その速度では演者はやはり動いていないように見える(そして、このような鑑賞方法に疲れてしまう)。諦めて、またぼんやり眺めていると、視野に収まらない演者は見ないうちに随分と動いている。どうしても「断面」しか観ることができないことに気づいた時、座る席を変えたくても、鑑賞者としては動くこともできないため、幻想的かつ抒情的な時間と空間に一体化している感覚よりも、向こう側の世界を”眺めているだけ”で、そちらへは入ることは許されていないことを感じてしまう。

こう書いていると、三途の川を挟んで彼岸と対峙する仮死体験のようだが、あながちそれも的外れではない気がする。

この作品を鑑賞に来た私たちは、観光客同様にすぐにこの土地を去る。そこに暮らしている人たちの営みも形成されている里山の景色に対しても、私たちは断面を自分の都合の良いように見る他にないのだ。

ソノノチは、その線引きや境界線に対し、非常に敏感かつ自覚的なのではないだろうか。彼らも中長期的な滞在をし、演者が立つ土地の所有者を探し許可を取ることや、地域住民との関係づくり、交番や自治会長といった顔役・守り役への挨拶まわりなどに多くの時間を割いている中で、自分たちがヨソモノであることへの自覚と、ヨソモノとして土地を舞台にした表現を行う”わきまえ”を知り、その上で”臨界点”手前を探っている。

ソノノチが安易に、土地の歴史性や固有性、関係性をパフォーマンスに取り入れていないのはその”わきまえ”故であろう。ヨソモノであり、ソノノチなりの視点で土地を断面的に切り取ることが、彼らなりの誠実な地域における向き合い方なのではないだろうか。

しかし、パフォーマンスを隔たりとした彼岸と此岸は、逆も言えるだろう。土地に住んでいる人が、遠目に一方を眺めて椅子に座っている20名ほどを見つけた時、亡霊のように見えても仕方ない。その間をゆっくりと漂う赤い点。
ランドスケープシアターは、誰かの日常が、別の誰かにとっての非日常になる断面である。交わることのできないあわいに、魅力が生まれる刹那的なひと時である。

ランドスケープシアターが、里山や自然風景の中だけのものではないことに、一抹の期待を添えて、作品評を終えたい。

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中脇健児さん

大阪芸術大学芸術計画学科 准教授 。堺アーツカウンシルプログラムオフィサー 。場とコトLAB 代表。
各地で市民協働のプロジェクトやコミュニティプログラムを手がけ、劇場・ミュージアム・図書館・公園・商店街・団地などを多様な人たちが出会い・創造していく場に変えている。またファシリテーターやアートプロデューサーの育成も手掛ける。兵庫県伊丹市で手がけた「伊丹オトラク」「鳴く虫と郷町」は地域連携・地域協働のプロジェクトとして20年続く。(「鳴く虫と郷町」は2015年「第6回地域再生大賞」優秀賞受賞)
2021年に京都市立芸術大学院にて、関係や場を扱う美術家、小山田徹氏に師事し、改めて自身の活動を見直す。現在はコミュニティ活動を推進する際に発生する「結束の強さ」の逃れ方を模索し、「社会の出合頭を変えるお手伝い」「弱い場の考察」「ふりの研究」をテーマに活動する。

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演目:『風景によせて2024 -かざまち-』
日程:2024年11月23日(土)- 24日(日)
場所:MushRoom Cafe から見る、京北・山国地域の風景

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