【劇評】2人の「つながせのひび」(2016年上演)

ソノノチという劇団の作品について

中谷は以前、「散歩中にぼーっと眺める風景のような演劇を作りたい」と言っていた。舞台に描かれた風景の中に入り込み、ただ眺める。「誰かがその風景の中で生きて過ごしているのを眺めていると、どこかの時間でいつか、自分の生き方を見直すのだ」中谷はこうも言う。そういえば、ソノノチの作品が上演したこれまでの作品名も、のどかな印象だ。「これからの宇(そら)」、「つながせのひび」、「いられずの豆」・・・
例えば道路とマンションに挟まれた、小さな公園の風景。背の高い木があり、錆びかけたブランコがある。どこかの子供が遊んでいる。おそらくその子供の両親がいる。個人的に抱えていた問題を考えるために来てみたが、解決の糸口は見えてこない。ところで、私は思う。風景をただ眺めるという行いはとても非日常的だ。そこにあるものは穏やかに展開していくに過ぎない。仕方なく、私は歩きだす。

「つながせのひび」の風景は、引っ越しを控えた画家夫婦の家であった。ギャラリーのごとく絵画が架けられた壁に囲まれて、夫婦が二人、荷物を前に疲れた顔で話をしている。不穏な気配がある。どうやら夫が持ち帰ってきた段ボール箱が原因のようだ。夫曰く、「ご自由にお持ち帰りください」と道端に置かれていた緑のシェードランプ。趣味の良い品だ。無理もない。誰でも手が伸びてしまうはずだ、それが引越し前日だとしても。妻の方も、自分がこれまでに描いた作品を壁に掛け、展覧会を始めてしまっている。心情的に、これも無理はないだろう。夫婦がスタートした家での最後の夜は言い争い。今さらお互いが理解出来なくなった夫婦。近すぎて見えなくなった、お互いの顔。
突如、夫婦のいさかいが、絵本の世界の描写に切り替わる。そよ風の吹く谷に住む、「ひびちゃん」と「つきちゃん」という小人。空を落ちる星をつかまえて生きている二人の生活だ。それは画家夫婦の当初の生活を彷彿とさせる。同じようなすれ違いが起こってしまい、やがて絵本の中の二人も会えなくなってしまう。いくら仲が良くても、居心地が良くても、我々は離れる。そうなるように出来ているのかもしれない。

中谷はアーティストとして生きている。正解のない職業であり生活だ。スマートな解決方法を選ぶ事で、却って生まれてしまう問題が往々にあることを知っている。だから、ワークショップデザイナーでもある彼女は言う。「問題と解法を分け与えるのではなく、それらを共有する姿勢が大事なのだ」、と。
私は今、こう考えている。問題を誰かと共有することは非常に重要だが、他でもない自己と共有することもまた忘れてはならないのではないか。己を完全に理解し、分析した時、我々は悟りを開いた気分になる。そして、問題が見えていなかった自分と無理解の事実を忘れてしまう。見ることを忘れてしまう。
見ること。気付きを得るためにそれは必要だ。そして、それは続いている。目線は過去の向こうに消えたように思えるが、その向こうからも視線は続いている。現れて、こちら側に飛んでいるのだ。

小さな公園の風景。別の、落ち着く場所を探すために歩いていると、最初に居た場所に戻ってきてしまった。だが、どこかが変わっている。それが何かは分からないが、確かに違う。ところで不思議なことだが、心のどこかが澄んでいる。もちろん、まだ問題は解決していない。焦りの代わりにふと気付く。公園にいた家族は、最初とは別の遊びをしていた。だが上手くはいかなくて、子供がむずがり始める。
「つながせのひび」では、ラストシーンに夫婦がギャラリーを鑑賞するシーンで終わる。部屋からは段ボール箱がなくなり、壁を巡る二人。二人が描いた作品を、なんだか答え合わせでもするかのように歩いている。彼らの中に息づく、小さな者たちにも伝わるよう、受け止めやすい言葉で。

文:高橋良明(http://www.intvw.net/)

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2人の「つながせのひび」

原作・脚本・演出:中谷和代
絵画制作:森岡りえ子

出演:藤原美保(ソノノチ)、芦谷康介、豊島祐貴(プロトテアトル)《ダブルキャスト》

日程:2016年12月14日(水)~25日(日)(月曜休館/延べ11日間 全17ステージ)《各回10席限定》
※期間中、舞台美術にもなる絵画の展示を同時開催。

会場:gallery make[つくるビル](京都市下京区)

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